ちょっと長い記事になりますが、よろしくお付き合い下さい。
( 多少、専門的な部分もあります。なるべく簡単な表現を心がけていますが、もし分かりにくければwiki等で検索して頂けると幸いです。)
まず、事の始まりからお話ししたいと思います。
去年(2008年)の11月18日の事でした。
その前の週末から、僕は、大阪に行っており、事は、自宅への帰宅途中に起こりました。
東京駅で新幹線を降り、ちょうど、山手線のホームへ向かうところでした。
突然警官に取り囲まれ(少なくとも、3~4人は居たと記憶しています)、そのうちの一人が
「ちょっと、いいですか。」
と、声をかけてきました。僕が、
「急いでいるので。」
と答えている間に別の警官が、既に僕のバッグを開けながら、
「じゃ、カバン見ますね。」
と言っていました。
この日、僕の持っていたバッグは、大きめの旅行用で、その気になれば子供が一人入れるほどのサイズがあり、中にはノートパソコンが2台とその他機材、衣類、ハードカバーの本何冊もが入っていました。
余りの重さに時々立ち止まったりしなければならない程だったのですが、それがアダになったのかもしれません。
「ああ、もうすぐ東京だな。そろそろトイレにでも行って隠そうかな。でも、基本的には駅構内の移動だし、まぁ、それでも捕まったらそれはそれで運命だろう。」
結局、敢えて隠しませんでした。
気の迷いというのか、今思えば、本当にこうなる運命だったのかも知れません。
都内に居て、今までの人生で、カバンの中に保管するなどという事はなかったのですが、大阪帰りという事もあり、気が緩んでいたのか、新幹線の中で思った事が現実になった瞬間でした。
ほどなく、フラッシュメモリーなどと一緒にケースに入れてあった大麻樹脂と、LSDが出てきました。
LSDに関しては、それが一見、何であるかは分からなかったようですが。
警察官の、あの、嬉しそうな顔は、今でも忘れません。
ちなみに、事件自体は大麻取締法違反被告事件となっていますが、同時にLSDも所持していました。
皆さんや裁判官の方々はこの事で、じゃあ結局は嗜好目的なんじゃないか、と、思われるかもしれませんが、ここでは、僕の立場で書かせて頂きます。
一部、調書にも書いてあるのですが、当初、自分の病状が原因不明の難病によるものであるという宣告を受け、半ば、自暴自棄になっており、自殺も考えました。しかし、LSDを使用したところ、その精神変容体験のなかで、自分の病気と向き合い生きていく人生を見いだす事が出来ました。この体験がなければ、今、自分はここに生存していなかったでしょう。
それは、一時的な快楽ではなく、どちらかというとこれによって救われたという宗教や信仰の概念に近い物であると思っています。
とはいえ、精神への影響の大きい物質なので(一定時間のみですが)、誰しもが有効な効能を簡単に享受出来る訳ではないとの観点から、合法化は困難であると思いますし、今回の件については特に争う意思はありません。
精神的な作用からの恩恵は既に完結しており、禁断症状も全くないので今後、やるやらないという事は、キャビアを食べるか食べないかという程度の事であり、中毒とは程遠いものであると認識しております。
ただ、主としてその精神的な効能の為のLSDの使用が、肉体的な効能を中心に意図しての大麻の使用と同質であるかという判断は、やはり裁判においては、裁判官の心証によるところが大きいと思いますので、いかにこの難病というものが人を苦しめるものであるかを理解して頂く事が、一番であると思っています。
ここで一旦、話をクローン病に戻しますが、確定診断自体は2004年1月とはいえ、思い返すと、実際の症状は既に1999年の夏頃から始まっており、当時、住んでいた早稲田近辺の肛門科で、痔瘻の診断を受けています。もう、10年も前の事ですから、おそらく、このような難病の存在自体、その医者は知らなかったのかもしれません。
若いのに珍しいね、でも、心配するほどのことではないよ、とのことで、塗り薬を貰いましたが一向に効果は見られなかったものの、まさか自分がこのような難病であるとは夢にも思わず、知識も全くなかった事から、そのうち治るだろうと楽観視しておりました。
しかしながら、瘻孔が塞がる事はなく、膿みは出続け、皮膚が腫れて、明らかに膿みが溜まっている場所は自分でナイフで切開し、排膿したりしていましたが、患部も場所が場所だったので、羞恥心から誰にも相談出来ず、鏡で患部を見ながら、自分で膿みを絞り出す日々が、4年半ほど続きました。下痢も日常的であったと記憶しています。
今思えば、当然、体内の炎症反応は常に高かったでしょうし、体のだるさを気力で誤魔化してはいましたが、それは、自分の肉体に致命的な欠陥があるとは認めたくないという気持ちから来る物でした。
性病でもないのに患部からは膿みが出続け、いつも下着には膿みが付着しているという20代前半の生活は、正直辛い物です。
その後、2003年の秋頃ですが、余りの倦怠感に、気力だけでは対処しきれず、以前、足首の骨折で手術を受けていた地元の病院(豊中市民病院という大阪の総合病院で、現在の場所に移転する前のこの病院で僕は生まれました)で、診断を受けました。
その際、重度の肛門周囲膿症であるいうことで緊急で切開し、排膿処置をしました。
継続して経過を観察する必要があるとの事でしたが、生活の基盤が東京にあったので、紹介状を貰い、東京女子医大に移ってから、シートン法(シリコンの管を固定する事で排膿経路を確保する術式です)の手術を受け、年が明けた1月、最終的な検査の結果、クローン病の確定診断となりました。この辺りからほぼ継続的にステロイドの投与を受けています。抗生物質も何度も使用しています。
ちょうど、日本で大麻を買いだしたのも、この時期です。
以前から、海外で興味本位で使用した事はありましたが、その具体的な効能についてはこの病気の事を調べているうちに知りました。
実際、強いストレスを感じると、胃や腸のあたりが疼く感じがして、体調が悪くなるのですが、海外での大麻使用経験から、この疼きに対して、大麻が有効である事は、経験として分かっていました。
そうして、半年程、シートンのついたままの状態での生活を余儀なくされたのですが、このシートンというのが厄介な物で、これがついたままだと外出先で排便する事さえ出来ないのです。当然、いわゆる一般的な社会生活を送る事が不可能なのは言う間でもありません。
他の患者さんのブログ等や調べ得る情報から、この病気を抱えた人間の状況を知り、とてつもない絶望感を覚えたのを今でもはっきり覚えています。
そんな中、LSDと出会い、前向きになるきっかけを得て、大麻を自分の生活の一部とする覚悟をしました。
いずれ、逮捕される可能性がある事は分かっていましたが、即、合法化されるものではない事も理解していましたし、僕としては、病状の悪化を避ける為に有効ならば、多少のリスクは厭わない、という考えでした。
実際、一昨年(2007年)の手術の際には10gの大麻樹脂を用意し、手術に望んでいます。
昼間は、屋上でこっそり喫煙する事で、前回の手術より、苦痛を和らげる事が出来ました。
しかし、夜間は屋上に出れなかった為、それも叶わず、痛みから、就寝時には3~4錠の睡眠導入剤を服用する様になっていきました。
その後、その副作用から、大量の薬剤誤飲もありました。僕自身は、全く記憶がないのですが、一歩間違えれば死に至る危険もあったそうです。
もちろん、それも大麻さえあればなかった事でしょうが。
その後も、やはり、シートンをつけたままの生活が数ヶ月続きましたが、この頃から予告されていた通り、免疫抑制剤(アザニン)の使用を開始し、抗TNFα製剤(レミケード)も試しました。
確かに、抗TNFα製剤は、強力ですが、その分アナフィラキシーショック等のリスクも伴います。しかも、何度でも使える訳ではないそうです。
まして、正確な原因も把握出来ていない病気に、推測をもとに処置をしていく訳ですから相当なリスクを伴います。
これが、もし、大麻を使用するだけで、症状を抑える事ができるならば、選択肢の一つとしてなぜ、日本にないのか?
そうすると大麻取締法という目的の条文すら持たない特異な法律に行き着く訳ですが、そういった、法的なタブーに触れる事は、多大な労力を伴います。過去、60年以上誰も成し遂げられなかった事ですから、誰かが動き出さなければ何も変わらないでしょう。
しかし、今回の裁判で、医療用途での大麻使用までをも禁止する現在の大麻取締法は、著しく、人権を侵害し、日本国憲法に反するとして、徹底的に無罪を主張します。
ただでさえ、病気と付き合いながら生きていかねばならない上にさらに、その労力を割かねばならないとなると、生活は決して楽ではありませんが、当初から、逮捕されたらもう、ぶっちゃけでいこうと思っていたので覚悟は出来ています。
結果、今回逮捕された事で、自分の立場を明確にするきっかけになった事には感謝すらしています。
この日本の医療の現状を踏まえた上で、同じ血の通った日本人として、皆様や裁判官の方がどういった判断を下す事になるのかは、正直分かりません。しかし、その状況を少しでも多くの国民が注目し、考えるきっかけが出来れば、日本人全体の大麻に対する認識も変わっていくのではないかと思っています。その先に、初めて何らかの形での合法化と言う結果があるのではないでしょうか。